2010年3月29日月曜日

地図と体験; 識るを覚えるに


 つい先日、某Webストアを覗いていて、アメリカのモントレー市と姉妹都市を結んでいる七尾市でジャズフェスティバルが行われていると知った。七尾というと和倉の温泉街や能登島(1月に野生のイルカを見た)、県内のJR線北端の地といったことが連想されるのだけど、「ジャズが薫る港町」という触れ込みには新鮮な印象を受けた。そう言えば扉一つで舞台が野外に繋がるという、意欲的な造りの能登演劇堂もここ七尾にあるのだった。

 Googleマップで会場を探し始めたのを潮に、当初の目的を脱線しながら地図ウォッチの時間になった。僕は地図を見るのが苦手で、詳しく建物名が示されていてもその平面図と景色との連絡がつけられない。迷った時は急いた事情のない限り、まずは歩いて、とみこうみして道を探す。トライ&エラー。行き当たりばったりとも言う。

 そんな具合で位置関係を飲み込む力量は一向に上がらないし、腰を据えて読み解こうなどという根気も持ち合わせていないけど、見る分には結構好きだったりする。

 ところで近年、地域振興について考える上で里山という概念や中山間地という地理特性に目を向けているのだが、俄かに注目しはじめた場所として島根県と岩手県がある。そのうち島根県ではGISを活用した興味深い取り組みをしており、Googleマップを筆頭に地図に関連するソフトウェアや技術に食指が動いていたところでもある。

 その島根の地図を眺めつつ、何とはなしに表示を「地形」にして見て気づいたことだが、島根にはさほど高い山岳はないけれど、北側の東西に伸びる平野部は、南北を山地に囲まれ宍道湖に分断されているように見える。似た印象を覚えた場所として、徳島県と香川県がある。両県は南北を接しているわけだが、低い山が両者を隔てるように塞がっていて、最短距離での南北間移動は思ったより骨が折れそうだと感じた。電車はぐるりと回り込むようにしか伸びていない。

 こういう物理的な隔たりには、距離という数値からは測れない心理的な隔絶があるのではないかと思う。平面では見えないことも、地形図を合わせることで浮かび上がることがあるものだ。同様にして実際にその地を踏むことでしか知ることのできないものもあるのだろう。

 Webの世界の発展は実に速やかで、実世界の片隅のことまで指先一つで調べることができたりするけど、全感覚的な体験によってもたらされる豊かさには及ばない。しかし地図情報には独特のパースペクティブがあり、空間的なアプローチを可能とする拡張性を有している。

その可能性によって地域の人々に故郷の再発見・認知を促し、自律自営の道を拓く一助となるような何かを導け出せないかと思ったりする。

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